勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

A sunset beach in the unreached distance

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亡き母の思い出が眠る夕陽の奇麗な海浜公園

春から夏に変わりゆくこの季節、三年前にこの世を去った母のことを思い出します。その理由は自分でもよく分からないのですが、同時に、家々の屋根越し、遠くに見える菜の花畑、夏の冷たい井戸水で冷やされたトマト・西瓜の映像等が、突如記憶の中の風景として断片的に蘇ります。

 

人生の末期、認知症を患い、長い闘病生活を送りました。幸い、優しい職員さんたちが働く介護施設にお世話になることが出来ましたが、言葉は疎か、喜怒哀楽の感情表現が全く出来ない時期が長く続きました。周囲の人々が話すことを分かっているような節もありましたが、それを確認する術はありませんでした。

 

その母がまだ健常な時分、好んで訪れた場所がいくつかあります。日本海に面したこの海浜公園もそのひとつ。夕陽が奇麗なことで知られる砂浜です。自宅から遠く離れていますが、関越自動車道のICからはほぼ一本道。フレームの片隅に小さく写る弟の運転で出掛けることが多かったようです。

 

冒頭の写真は母が他界した三日後に撮ったもの。遺言に則り、母が愛した海に小さな小さな遺骨を沈めた後の風景です。この日は実に穏やかな一日で、母の大好きだった夕陽も美しく水平線に映えました。「わざわざ連れてきてくれてありがとう」。そう優しく僕と弟に語りかけているようでした。

 

私事で恐縮ですが、女手一つで僕と弟を育ててくれた母。和食よりも洋食が得意だった母。「おふくろの味」と聞いて思い出すのは、煮物やみそ汁ではなく、パスタやサンドウィッチ(笑)。そのせいもあり、休みの日の朝食は決まってパン。この習慣は歳をとった今でも変わることはありません。

 

僕の旅行用バッグには、母が女学校に通っていた頃、大の仲良しだった友達と一緒に撮ったモノクロームの写真が一枚。卒業後、母校の庭で撮影したみたい。「このお友達は夭折したのよ」と聞かされたのは、いつの日のことだったか…。

 

今頃、何十年か振りに再会した親友と何を話しているんでしょう。

 

きっと喜怒哀楽の表情を顔いっぱいに浮かべながら…。