勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

Memories & pictures with missing information

二十年ほど前、宿泊したホテルのすぐ脇にあった麺料理の店

今思い出すと、何だか夢を見ていたような気もする。写真に残っているので現実に経験したことなのだろうが、どういった経緯でそこを訪ね、どうしてその店に入ったのか、全く思い出せない。ただ、見る度に、何故か懐かしい思いがこみ上げてくる。それは、もう二度と出会うことの無い風景であることを知っているからなのだろうか…。

 

当時、この国は全体的に薄暗く、夜の街は独特の雰囲気を纏っていた。通りや広場に人の数は多いのだが、街灯の数はその百分の一にも満たなかっただろう。華やかな気分とはほど遠いが、暗闇の中に熱気を感じる。歩行者天国と化したメインストリートには所狭しと屋台が並び、ありとあらゆる食材や香辛料の匂いが充満していた。

 

「ああ、この匂い…、なんだっけ」。東京の歓楽街、ちょっと怪しげな路地裏に入ると、目をつぶっていても中華料理屋が近いと分かる特徴的な匂い。この街では、その匂いが何倍にも凝縮されたような塊となって鼻の奥深くまで押し寄せてくる。それほど腹は空いていないのに、ふと何か口に入れたい衝動に襲われる。

 

まだ洗練されていない頃の彼の国。今はもう世界第二位の大国となってしまった。そしてあと何十年かすれば、おそらく世界一の経済力を誇示する国となるだろう。そのとき、この国の庶民は一体何を食べ、どういう暮らしを営んでいるのか。写真を撮影した時代、一杯のラーメンは邦貨換算で100円もしなかった。

 

意を決して店に入る。注文を取るや否や中華鍋に食材が投入され、油が高い音を立てる。料理名を告げてから口に入れるまで、おそらく二分も掛かっていない。持ち帰り(打包)の客には料理を直接ビニール袋に入れ手渡し。最初の頃は本当に度肝を抜かれた。「熱々の麺料理…、だよな」、「体に悪いことはないんだろうか?」

 

今は余程の田舎にゆかない限り、こんな店にはお目にかかれないだろう。今思えば、よくもまあこんな店に入ったものだ。若気の至り(と言ってもそれほど若くはなかったが…)と言ってしまえばそれまでだが、ただ単に興味が本能に勝っただけだったのかもしれない。でも、美味しいラーメンだったような気はする(腹を壊した記憶はない)。

 

今、スマフォには100%の確率でGPSが内蔵されており、地球上のどこで写真を撮ったのかを自動的に記録してくれる。そのため、後から写真を見直しても、その場所を失念してしまうことはない。でも、この頃はまだデジカメ全盛時代。すぐに写真の整理を行わないと、どこの街のどの辺りで撮ったものなのかがすぐに分からなくなってしまった。

 

僕のPCストレージにはそんな写真が数多く残されている。前後の写真群から移動ルートを改めて想像し、およその場所を特定出来はするが、正確な場所までは思い出せない。冒頭の写真も都市名こそはっきり思い出せるものの、泊ったホテル名や市内の地区(位置)がどうしても思い出せない。

 

そんな訳で、夢で訪れ、夢で体験したような気分なのだろう。まあ、仮に今またその場所を訪れることが出来たとしても、この店はまず間違いなく無くなっているに違いない。

 

過日、とあるTV番組で「6歳の自分と60歳の自分、どちらかの自分に会えるとしたらどちらにしますか?」という質問があった。その時、出演者の一人は以下のような回答をしていた。

 

「絶対に6歳!だって未来の自分を見て、もし想像と違っていたら、生きる希望を無くしてしまうから」。

 

思い出の中だけに生き続ける街や風景。僕の場合、そんな記憶が次の旅への原動力となっているのかもしれない。