勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

The Goddess of mercy remembering mother's look

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いつも温かな眼差しで街を見守る白衣観音

昭和40年代、まだ僕が子供の頃、町は大きな遊園地でした。神社の境内、公園の芝生、堤防の小道、砂利の駐車場…、朝早くから日が暮れるまで、当てもなく辺りを走り回っていました。疲れた体を休める駄菓子屋は二軒。うち一軒の屋号は「ますだや」。でも僕らはその店を「だますや(騙す屋)」と呼んでいた。何故なら、籤を引いてもあまり当たりに恵まれなかったから(笑)。

 

その頃の市街地にはまだ高層ビルなど無く、町中の至る場所から、山頂に優雅に佇む白衣を纏った観音様が見えました。昭和11年、当時の実業家「井上保三郎翁」が私財を投げ打って建立した巨大モニュメント。現在は「慈眼院」と呼ばれる鎌倉時代中期に創建された寺院の管理下に置かれているようです。余談ながらこの寺院、「関東八十八箇所霊場」の第一番札所なんですね。数十年経った今、寺院のHPにて知った次第です。

 

さて、小学校の頃、遠足と言えばこの観音山が鉄板の行き先。子供の足でも普通に制覇出来る山なのですが、最後の一登りだけが実にキツイ!その坂道、参道沿いには数件の茶屋があり、酒まんじゅうやら味噌おでんやら、いつも美味しそうな匂いが漂っていました。そして、そんな中に名物の最中を売る店がポツリと一軒。今の時代、それを知っている人はそう多くないかもしれません。

 

一部コアなファンの間では有名なのですが、この最中、皮が観音様の形をしています(”高崎 観音最中”でググると画像が山ほど出てきます)。大人が丁度三口くらいで食べられるサイズで、味は「小豆餡」と「ゴマ餡」の二種類。昔は他にも「柚子餡」「チョコ餡」など、確か数種類ほどあったのですが、いつの頃からかこの二種類だけになってしまいました(柚子餡、もう一度食べてみたいなあ)。

 

ところで子供の頃、この最中を食べるときいつも悩んだのは「頭から頂くか、それとも脚から頂くか」ということ。参道沿いの店は自宅から遠く、そうそう簡単には行けなかったけど、市中の銀座通りにある本店には時折顔を出しました。少し小腹が空くとおやつ代わりに購入。そしていつも「頭からか、脚からか」、自転車に跨り暫し悩む…(笑)。

 

この頃培われた嗜好故か、今でも和菓子が大好きな僕。どこの土地に行っても必ず最中を探し当て、試しに買って食べてみます。最近では材料に拘る菓匠が多く、昔とは比べ物にならないくらい上品な逸品に出会うこともしばしば。でも、この観音最中だけは僕の中では別格。口にするたび、普段は全く意識しない記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡ります。

 

母が運転する車に乗り、次第に近づく観音様を眺めながら、参道の茶屋を訪ねた思い出。同乗する祖母と並び店先で頂く、いつもの味…。柔らかな母や祖母の笑顔と観音様の慈悲深い表情が、記憶の中でオーバーラップします。

 

一般の人にとってはこの最中、どこにでもあるようなありきたりの風味なんだと思います。

 

でも、僕にとっては単に最中とは呼べない特別な甘味。

 

観音様を模した表情を見つめるたび、甘く切ない記憶を呼び起こしてくれる、時空を旅するための和菓子と言っても過言ではありません。