勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

The God-created brain sport still developing

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祖父から譲り受けた漆書きの将棋駒


昨日、渡辺明棋聖藤井聡太七段の「第91期棋聖戦第一局」をご覧になった方も多いと思います。その後、ネット上には著名なライターや棋士の先生方から様々なコメントが多数寄せられているため、改めてここに書くまでもありませんが、観ていて本当に鳥肌の立つ一局でした(こんな一局、数年に一度見られるかどうかでしょう)。

 

「将棋は、一局面で可能性のある指し手のほぼ全ては悪手であり、その傾向は終盤になればなるほど、より顕著になる」。終盤、三十数手先の自玉に詰みが無いことを(おそらく)正確に読み切り、渡辺玉の腹に銀を打ち「詰めろ」をかけた藤井七段。その後、常にひとつしか存在しない正解手を一切の迷いなく最後まで指し続ける高校生棋士。いったいどんな鍛錬をしたら、17歳であのような集中力・精神力が身に付くのでしょう。

 

さて、レベルはぐっと下がりますが(笑)、僕が将棋を覚えたのは小学一年生の頃。当時、革職人だった祖父と大学生だった叔父が店先の縁台に座り、所作麗しく指す姿を見て大層興味を持ったらしい。それから(猛?)勉強。事ある毎に祖父と対戦するものの、全戦全敗…。勿論、手を抜いてくれることも多々あったけど、僕が中学生の時、病気でこの世を去るまで、真っ向勝負で勝ったことは遂にありませんでした。

 

その後、歳を取るに連れ、いろいろなライバル達に出会いました。大山十五世名人に憧れ、四間飛車しか指さなかった将棋部の学友。社会人になってから出会った「都大会ベスト4常連の先輩」等々。将棋を通じ人と出会い、実りある人生を送ってきました。それというのも、小学生の僕に時に優しく、時に厳しく将棋を教えてくれた祖父のお陰です。

 

冒頭の写真はその祖父から譲り受けた将棋駒。明治の頃、製作された桐の箱に入った漆書きの四十枚。高級品に採用の多い「彫り駒」ではありませんが、僕にとっては何よりも大事な宝物。時々、箱から出して磨いていますが、眺める度、幼い頃の悔しくも懐かしい思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡ります。

 

当時、商店街の本屋でお小遣いを貯めて買った定跡書。背伸びをしたため、読んでもさっぱり分からなかったけど、将棋の奥深さだけは幼い心に深く刻まれました。

 

昭和、平成、令和と時が流れても、未だ進化を続ける将棋。そして、今やその変化を、ネットにてリアルタイムで鑑賞出来る幸福…。

 

祖父も第91期棋聖戦第二局を、空の上からさぞや楽しみにしていることでしょう。