勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

The great landmark in the history of Europe

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とある欧州の街の美しい教会

今を去ること二十数年前、車載用電子機器開発のためドイツでの駐在を命ぜられました。今では装着されていない車を探す方が難しくなったナビゲーションシステムの現地開発です。それまで出張や個人的な旅行では何度も訪れていた欧州でしたが、いざ住むとなると話は別。期待と不安に胸を膨らませながら成田空港を飛び立ったことを、まるで昨日のことのように思い出します。

 

当時は日本国内ですら車載用ナビを利用しているユーザーが圧倒的少数派だった時代です。欧州ではまだその名も知られてはいません。Navigation Systemという単語は全く通じず、GPSと言ってようやく「ああ、航空機に装備されているあれね」といった反応が返ってくるような状況。我々は人類史上、最も技術進化が激しい時代に生きているのかもしれません。

 

さて、そのプログラム開発。電子地図データベースはようやくドイツの都市部が整備され始めたばかり。当然、郊外の道路など、ほとんどディジタル化出来ていません。日本から持ち込み、欧州の道路事情に合わせチューニングしたソフトウェアは、不安定を絵に描いたような代物。何故か人も疎らな週末の夜、見知らぬ土地に限ってよく固まったなあ(笑)。今思えば笑い話で済むけれど、どれほど心細かったことか…。

 

そんな時、僕にとって教会は本当に頼りになる存在でした。

 

というのも、欧州では「教会=ランドマーク」と言っても過言ではなかったから。辺りは一軒の民家すら無い茫洋たる平原。時に鬱蒼とした森の中。でも周囲を見渡せば、必ず風景のどこかに十字架を携えた尖塔が目に入る。フリーズしたナビ画面、道路標識上の見知らぬ都市名を横目に、何度この歴史的建造部に助けられたか分かりません。

 

「あの教会の周辺には小さな町があり、中世の頃から変わらぬ人々の暮らしがある」。何百年もの間、異国人に対し変わることのない「無言の道案内」を続けるランドマークが遠くに見えます。その昔、街道をゆく旅人も、きっと僕と同じ想いを心に抱いたことでしょう。

 

日本人として神社仏閣を誇りに思うけど、そんな教会を皆が生まれ故郷に持つ欧州の人々…。

 

私見ながら、暮らしに根付く宗教観って、意外とこんなところから生まれているのかもしれません。