勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

An earnest request by a gentle curator (part 5)

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長い話を最後まで読んでくれてありがとう!(写真と本文は関係ありません)


(Part 4より続き)

S氏によれば昨日の深夜、突然電話が鳴り、何事かと思い慌てて応答したところ、受話器からKさんの声が聞こえてきたとのことです。電話の相手は確かにKさんだったらしいのですが、残念ながら正常なコミュニケーションが取れなかったとのこと。Part 3で触れましたが、彼曰く、既にその頃兆候が出始めていた認知症のせいではないかと…。

 

どうやら、Mr. LからのAir Mailにあった電話番号に僕が何度も架電したことがきっかけとなり、着信履歴に残る複数回の日本の番号にコールバックをしてきた模様です。でも認知症を発症していると思われる彼女のこと、米国西海岸と日本の間にある17時間の時差にまで考えが及ばず、深夜のコールとなったらしい(余談ながら、日本の深夜2時は米国西海岸の朝の9時)。

 

その週末、S氏の実家に再びお邪魔し、事の経緯を詳しく伺ってみました。同時に、彼女の番号に電話してみたことは言うまでもありません。しかしながら結果は変わらず、呼び出し音が空しく響くだけ。応答はありません。せめてMr. Lが対応してくれたならば、彼女の様子や病気の具合を訊くことが出来たと思うのですが、あいにくそれさえも叶いませんでした。

 

以前送ったメール以上に辛い報告をMr. JMにしなければなりません。その日の深夜、出来る限り正確に、かつ柔らかな表現を心掛けながら、PCのキーボードを叩きます。遂にKさんと連絡がついたこと。しかしながら、彼女は正常なコミュニケーションが出来る状態ではなかったこと。そして、再び連絡が付かなくなってしまったことなどを活字に起こし、静かに送信ボタンをクリックしました。

 

時は流れ、数か月後の年明け2月、奇しくも再びドイツへの出張が決まります。Mr. JMに連絡を取り、街の中心部、目抜き通りの由緒あるレストランで待ち合わせ、食事を共にすることとなりました。

 

昨年の11月、美術館でとある絵画に関する会話を交わし、今回の調査依頼を受けてから、早数か月の時が過ぎています。Mr. JMは以前と変わらぬ穏やかな表情で僕を迎えてくれました。先ずは開口一番、今回の調査に関する丁寧なお礼を。そしてこの歴史あるレストランで共に食事が出来ることの喜びを僕に伝えてくれました。

 

「Josh、君と出会えたことを本当に嬉しく思う。」そして、こう続けます。

 

「残念ながら願いは叶わなかったが、彼女が米国で所帯を持ち、たくさんの子供に囲まれ、幸せな生活を送っていたことが分かり、ほっとした。」「何だか人生の重荷がひとつ、肩から下りたような気がする。」前菜のLeberknödelsuppe(南ドイツ地方でよく食べられる「肉団子スープ」)を啜りながら、切ない思いに駆られたことを、今でも昨日のことのように思い出します。

 

別れ際、日本に来るときには必ず連絡をしてほしい。そしてその際には、彼女の実家に案内することを提案すると、彼は一言、

 

「ありがとう、だけど旅をするには少し歳を取りすぎたよ」と…。

 

出来る限りのことはやったという達成感と、望み通りの結果を得られなかった無力感…。

 

ドイツ、米国西海岸、そして日本と、北極点を中心に北半球を巡った時空の旅の終わりは、少しだけほろ苦いものとなりました。

(了)