勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

The taste of wasabi preserved in sake lees

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もう数十年も変わらない懐かしい味「峠の釜めし

関東平野北西部、一地方都市の駅前商店街で育った僕は、毎朝、駅近くの跨線橋を訪れては、列車の連結作業に見入っていました。今ほどに鉄道技術が進んでいなかったその昔、日本有数の難所である県境の峠を越えるには、特殊な装備を有した機関車への切り替えが必須でした。そして、その作業を国鉄の機関区があるこの町で行っていたのです。

 

以下は、今は亡き祖母から聞いた話。朝食を済ませた僕は、駅に向かって一目散に歩き出す。一通り切り替え作業を見終わると、帰りは決まって髙島屋に寄り道。十円で数分間動く店頭の電動遊具にひとしきり揺られた後、屋上階にあるレストランでホットケーキを頂く…。とまあ、子供ならではのお気楽な暮らしを満喫していたようです。

 

そんな折、母が車の免許を取得しました。女性が車の運転をすることは、まだ相当に珍しがられた時代です。軽自動車を購入した時などは、近所の家々に格好の夕餉の話題を提供したことでしょう。今でもはっきりと覚えていますが、車種は三菱自動車製の「ミニカ70」。前開きの2ドア車で、大人四人が何とか乗れるほどの本当に小さな車でした。

 

時は昭和四十年代初頭。正にモータリゼーションの走り。思いの外、車の運転が性に合ったのでしょう。母は何かにつけ僕や弟を乗せ、様々な場所に連れて行ってくれました。近くは郊外の公園やスーパー。市中を離れ、近隣の観光地を訪ねることもしばしばありました。そんな中、よく訪れたのが、写真の釜めしを提供する国道沿いのドライブインでした。

 

一路西を目指し、街並みを抜けると、遠くに浅間山が見えてきます。そして安中宿の杉並木を越えた辺りから、上毛三山のひとつ、妙義山の荒々しい山肌が段々と大きくなってきます。軽井沢を経由し、遠くは直江津、新潟までをも繋ぐ信越本線を疾走する電車と並走するようになれば、目指すゴールも近い。幼い頭の中は、もう釜めしでいっぱいです(笑)。

 

その釜めし、驚くことに味も具材も当時から全く変わっていません。近年ではタピオカに代表されるように、次から次へと流行が変わる食の世界では珍しい存在でしょう。でもひとつだけ変わったことがあります。それは冒頭の写真左に写る「香の物」と呼ばれる漬物の詰め合わせ。些細なことですが、当時はマッチ箱の様な木の箱に入っていました。

 

漬物はさほど嫌いではないのですが、さて容器右下辺りに見える「わさび漬け」。子供の頃、これだけはどうしても食べられなかった。まだ幼かった僕は、ゴボウ、キュウリ、小茄子、小梅と食べ、わさび漬けだけを残す。それを見た祖母が「もったいない」と言いながらわさび漬けを美味しそうに口に運ぶ姿を、今でも鮮明に覚えています。

 

あれから幾星霜…。好物とまではゆかないものの、今では普通に食べられるようになったわさび漬け。でも、他の漬物とはちょっと違う。

 

いつの頃からか僕にとってわさび漬けは、車の窓越し、次第に大きくなる妙義山を見ながら釜めしに心躍らせた幼い日を思い出させる、ほろ苦い味となりました。