勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

Two communes in some thousands of miles away

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川沿い・街道沿いに発展した日白の町

知らない土地を旅している時、ふと昔訪れたような錯覚に陥ることはありませんか。前世の記憶説や人の卓越した能力説等、その主張には枚挙に遑がありません。残念ながらいずれの説も未だ科学的には証明が成されていないようですが、これと似たような視覚的な現象であれば、過去何度か、僕も実際に体験しています。

 

人類が村というコミュニティを形成し、人々が生活に必要となる互いの機能を補完し合う集団生活を始めたのは遠い昔のこと。まだ一般社会に機関車や自動車が存在しない時代、その中心となった場所は「川(運河)」でした。海から山へ、山から海へ…。多くの生活物資を運ぶため、船は重要な交通手段だったことでしょう。

 

そして、人と人との交流を司ったのは「道(街道)」。江戸日本橋を中心とし発達した五街道のような道路網が、欧州にもきっとあった筈です。数多の歴史が証明するとおり、経済活動はやがて文化の交流へと繋がります。今でも名のある宿場町には必ずと言ってよいほど、何百年の昔から受け継がれた文化的な香りやしきたりが残っています。

 

さて冒頭の写真ですが、上半分は昼夜を徹しての盆踊りで有名な美濃国山中の町、下半分はフランスとの国境に近いNamur州渓谷の町です。直線距離で何千マイルも離れたこの二つの町、その構造は驚くほど似通っています。

 

町外れには大きな川、中心部を貫く街道、遠く視界の彼方には山並みが見える。そして偶然とはいえ、写真右手前にはそれぞれ「城」と「教会」が…。共に古から、町の移り変わり、人々の暮らしを見守ってきた歴史的建築物です。なお、余談ながら州のHPによれば、教会の起源は今からちょうど千七百年前の西暦320年、Saint Materne(聖マテルネ)により同所に礼拝堂が置かれたことに端を発するとのこと(伝説らしい)。

 

さて、冒頭に記した既視感(déjà-vu)ですが、僕の場合は「村が発展する一過程上の必然性に起因する単なる類似現象」でしょう。

 

ただ、こんな特別な風景に出会う度、それぞれのコミュニティが辿ってきた歴史やそこに起こったであろう人々の喜怒哀楽に思いを馳せ、ほんのひとときですが時間を忘れ、その場に立ち止まってしまいます。

 

そして、思うことはいつも同じ。

 

「さあ、次はどの国、どの町へ行こうか」と…。