勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

A vague landscape dwelling in little heart

f:id:kyn9:20210621171904j:plain

ホテルの上層階から撮影した、在りし日の中国の街角

もうかなり昔の話になりますが、公私ともに時折中国を訪れました。世に電子マネーなど無く、未だクレジットカードすら怪しい現金至上主義の時代。若い世代はご存じないでしょうが、人民元の他に「外貨兌換券」なる紙幣が存在し、タクシーなどに乗車する度に「外国人か?料金は兌換券で払ってくれよ!」としつこく言われたことを懐かしく思い出します。

 

さて、冒頭の紹介文でお分かりのとおり、初めて中国を訪れたのは90年代初頭の初春三月。場所は東北地方遼寧省にある瀋陽という街でした。当時設立したばかりの産学協同プロジェクトの担当となり、とある大学の研究室に日本から通い、電気回路の動作シミュレーター開発を現地のエンジニア(現役の大学生)と一緒に行いました。

 

その詳細。先ずはPC(当時はワークステーション「WS」と呼んでいた)の画面上に電子部品を配置し、それらを接続しながら電気回路を設計します。回路が完成したら電圧や波形等の初期条件、および変化を示す関数式を与えると、各電子部品に掛かる負荷(ストレス)を自動計算してくれる。そして、許容値をオーバーしている部品が発見されると画面上赤くハイライトされる仕組み。

 

でも、東北地方きっての有名学府に通う優秀なエンジニアが様々なパラメータを上手に設定してくれたお陰で、当初想像していた以上に開発のペースが早かったなあ。当時はまだ個々の電子デバイスのデータが潤沢に揃ってはおらず、紙のデータシートを眺めながら、トランジスタなどの入出力特性をひとつひとつ丁寧に作成した記憶があります。

 

さて、その研究室。暖房はあるのですが、ちょっと効きが悪い。とはいえ、外に比べたら建物の中は天国のような暖かさです。ちなみに三月とはいえ、外気温はマイナス20度くらい(寒い!)。大学構内は自転車で風を切って移動するため、本当に冷えます。ドアを開け、机に座り中国茶を啜りながらほっと一息。さて仕事の続きを、とキーボードを叩き始めますが、思ったように指が動かない…。

 

「何でだろう…、体の調子でも悪いのかな。」そう思い指の屈伸運動を数回。それでもまだ十本の指趾は自由に動きません。ふと壁に掛かる寒暖計の目盛りを見れば、示す値は何とマイナス5度(驚)。外気温との差が15度以上もあるため、確かに暖かく感じるのですが…。道理で思ったようにキーボードが叩けない筈です。

 

ただ、風はあまり強くなかった記憶があります。きっと大陸性の高気圧の勢力が半端なく強く、広い範囲に下降気流となって上から大気を押し付けていたのでしょう。当時の中国はまだ経済成長の黎明期。暖房と言えば石炭ストーブが全盛の時代。各家庭や会社の事務所から排出される煤で空一面が灰色、というかはっきり言って黒い…。今のコロナ禍ではありませんが、外出の際、マスクは欠かせませんでした。

 

さて、冒頭の写真。実はこの写真を見る度、その昔短波ラジオに耳を傾け、異国の放送を受信することに夢中になっていた子供の頃を思い出します。スピーカーから流れる中国語らしき言葉を聴きながら想像した赤いランタン、原色のネオンサイン…。幼い心が想像した異国の夜の街は、きっとこんな風景だったのかもしれません。

 

しかし日々変貌を遂げる彼の国。もう二度と同じ景色に巡り合うこともないでしょう。

 

でも、僕の心に宿る懐かしい景色は、いつまでも変わることはありません。