勝手時空雑記

思ふこと言はでぞただにやみぬべき われとひとしき人しなければ

Memories come back with scent of vinegar

ちらし寿司は大人のためのお子様ランチだ!(笑)

僕が生まれ育った家は町家づくり。間口は狭く、奥行きがある細長い構造をしていました。前回、祖父が鞄屋を営んでいたことを書きましたが、表玄関は仕事場に直面する全面のガラス戸。その脇に、人ひとりがやっと通れるほどの木戸が設けられていました。

 

その木戸を潜ると細長い路地が中庭へと続く。そこには小さな池があり、僅か数匹ながら鯉が泳いでいたことを記憶しています。そしてその奥には井戸を携えた裏庭が。夏にはこの井戸から冷たい水を汲み、よくトマトや西瓜を冷やしていました。

 

そんなつくりからも想像出来るとおり、生家は商店街のほぼど真ん中。通りの同じ並びには、端から順に、床屋兼喫茶店・煎餅屋・寿司屋、そして僕の家を置き、家具屋・骨董品屋・自転車屋と続いていました。そして角を曲がると材木屋、その先に豆腐屋があった。

 

実は僕自身、あまり記憶には無いのですが、夕方豆腐を買いにゆくと、帰りには店主の手によって、決まって低いトタン屋根の上に乗せられたようです。「ようです」というのは、小学生になった頃、祖母から聞かされた話だから…。おそらくは恐怖心から、幼心の記憶から奇麗に消されていたのかもしれません。

 

でも、このような情景は全て過去の話。数十年もの昔、市街地再開発の名の下、商店街はすっかり様変わりしてしまいました。今でもあるのは煎餅屋と家具屋くらい。豆腐屋も店舗自体は残っていますが、果たして営業をやっているのかどうか…。時の流れとは言え、生まれ育った町が変わってしまうのは、何となく寂しいものですね。

 

果たしてそんな環境で育ったためか、子供の頃から鮨が大好きです。でも、当時の僕はまだ小学生低学年だったから、頂くネタはかんぴょう巻きや玉子ばかり、そしてたまにかっぱ巻き…。ちなみに、寿司屋の屋号は「菊寿司」でした。

 

休みの日の朝など家の前に出ると、隣から酢飯の何とも言えないいい匂いがしてくる。でも、その頃の鮨は高級品だったため、おいそれと気軽に食べられるものではありません。思えば日本も豊かになったものです(当時はバナナも高級品…笑)。

 

さて、冒頭の写真。すっかり大人になった僕が時折暖簾をくぐる、とある寿司屋のちらし寿司(大)です。町こそ違うもののやはり商店街の一角にあり、地元では有名な老舗とのこと。穏やかな大将と威勢の良い息子さんの二代で切り盛りするお店です。

 

個人的には鮨って当たり外れがそれほど大きくない料理のひとつだと思っていますが、事ちらしに限ってはそうでもありません。特にご飯(シャリ)が美味しくないと箸が進まない。その点、この寿司屋はネタは勿論のこと、シャリの鮮度がいつ訪れても抜群にいい。

 

残念ながら「菊寿司」でちらしを頂いたことは一度も無かったけれど、当時、きっと同じようなおいしいお米を、お客さんに提供していたことでしょう。

 

写真のちらしを頂くたび、鼻腔をくすぐる酢飯の匂いと共に、そんな遠い日の記憶が懐かしく蘇ってきます。